PROFILE

経歴

EXHIBITIONS


SANAGI
brood A
birth1980/9/3
address kanagawa city


INTERESTS
cinema タルコフスキー / 大島渚
music 坂本龍一 /ジム・オルーク /
photographer  荒木経惟 / 森山大道
author 安部公房 / 三島由紀夫
Architect コルビュジェ / 前川國男 
Shulrearist ハンス・ベルメール / シュバンクマイエル
art 岡本太郎

ペットショップの息子として生まれる。 父親は犬の訓練士
1986 6歳: 兄が脳腫瘍で入院
1991 11歳: 両親が離婚
1992 12歳: 母親の彼氏と共にくらす。以後四年続く
1998 16歳: 初めてのアルバイト代でカメラを買う
1999 17歳: 初めてコミケでコスプレ写真を撮る
2000 19歳: 映像製作会社に就職。AD。多忙を極める
2001 20歳: 退職。パソコンショップで働く
         毎週コスプレイベントへ行く。サナギを名乗る
2002 21歳: ポートレートを撮りはじめる
2004 23歳: 失恋。病気になる。人間不信に…
2005 24歳: 病気の為仕事をクビに。WEBの学校へ通う
2006 25歳: 抑うつと病気で外出ができなくなる
2007 26歳: 収入なし、引きこもる、作品を売る、 拾ったも
         のを売るなどして食いつなぐ8`体重が落ちる
2008 27歳: 父が水死体で発見される 
2009 28歳: 通院 療養 父の残した借金を返済中
2010 29歳: 通院 療養中



2001 12 comicmarket61
2004 5 designfesta! vol.19
2004 8 comicmarket66 
2005 11 designfesta! vol22
2006 8 comicmarket70
    11 comitia78
    12 designfesta! vol24
    12 comicmarket71
2007 05 comitia80
    08 comicmarket72
    12 comicmarket73
2008 08 comicmarket74
    12 comicmarket75
2009 08 comicmarket76
    08 comitia89
2010 02 comitia91
2010 05 comitia92   

 


 ぜ女を撮るのか。
僕は、母親を求めているのだと思う。
女とひとつになりたい。写真に撮ることで女と情緒的な一体感を得たい。僕の目で見た彼女を、写真にして彼女自身が見ることで、彼女の目を事後的に僕の目にするという、時間を超越した同一化の作業。僕にとってはこうした観念的な性交こそ、女を撮る事のはずだった。  自分を受け入れてくれて、認めてくれる存在、そのような存在を求めていた。それはつまり母親だと思う。

 その母親というのが、自分の実の母親かというと、それはちがう。それはもっと観念的で、理想によって美化された女性像だ。 そのような運命的な女性を探していたのがかつての自分だった。  この1年の写真をふりかえって、ずいぶん女を“殺し”たな。と思った。一体感を得たい、受け入れて、認めてもらいたいはずの女を殺したのは、なぜだろう。
僕は殺す事で、理想的な女性への願望から自ら手を切ろうとしているのかもしれないと思った。 また、女を殺すのは、僕の復讐なのかも知れないと思う。
女(母)に愛の欲求を満たしてもらえなかった事を恨むとでもいうような、そういうこどもじみた類のものだ。

 女を欲する心が強ければ強いほど、その心自体に自らが支配されて、掌握されてしまうもので、いつしかそういったものの蓄積が僕にこのような写真を撮らせるのかもしれないなと思った。  じつは来年、僕は家を出る事になっている。
やっと、母親と手を切ることが出来る事を喜ばしく思う反面、一人暮らしした事の無い自分は意外なほどに寂しいと思ってもいる、今年の7月に父も死んだばかりで、1年で両親と死別した気分だ。 寄る辺の無い思いを抱えてしまい、よりいっそう女への求心が強まるばかり。そして再び表れる女への依存心を断とうとしてますます、女を殺さなければ、僕のこころの中にある女という観念の根底にある母親を殺さなければという想いが強くなるのだった…。

  僕の作品に見られる“身体切断”の表象、(刃物のモチーフ・脚の写真など)も、女との一体感を諦めると同時に、自他の区別をつけようとする、いわゆる自立心からくるものだと思う。くりかえしになるが、一方で女を欲して、また一方ではこのように女を拒絶する二律背反する感情が僕にはある。
 


 ぜ写真を撮るのか…。
僕はある時、何かを操作したい、所有したいという思いの強さを心の内に発見した。 それは、自分が何からも、誰からも支配・制限されず、 外界を・他者を操り・世界を手中にするというような、 そういう途方もない幻想(?)だった。

  生きる事が思うようにならない、 自分の人生を自分で思うように操る事が出来ない。 自分の心を・身体を、自分自身が操作しきれない。 そういった自分の無力な気持ちがある。 そのような無力さ、劣等心が世界を・女を、支配・所有したいという思いをもたらせるのではないだろうか。
自分の人生を自分ではない誰かによって操られているような感覚、 他者に振り回される事・大きな流れ、運命に流されているような感覚…。
僕はそういう、無力さ、劣等を感じているように思う。

  車を運転する・コンピューターを操作する・犬を飼う・ 自分より目下な者を見つけて自らの優越を確認する…。 そんなありふれた、主従関係の、主に回る事で、 人は、自分という存在の優越、主体性を回復させようとしているのではないかと思った。では、僕にとってのその優越・主体性の回復の行為とは、 カメラを操り、世界を撮り、女を操り、女を撮るという事なのかもしれないと思った。
自分が主体となって、目に見えるものをすべて客体化してしまう。そして世界を撮り、世界を所有した気分になるのだ。
   

ぜコスプレをした女を撮るのか・・・。
僕は誰かと繋がりたいのだと思う。 たとえばそれは秋の肌寒さからくる、人肌への憧れのようなもの。ぬくもりの・人肌の・受け入れられた過去の体験。つまり母の記憶。成長して、母からも愛されていた自分からも遠ざかってしまった今、 母の欠乏が女の観念にすりかえられ・そして根底では 結びついて、女を母の代償として再度獲得しようとしてしまう。だからぼくが写真機を持ったとき、撮りたいもの所有したいものが自然と女を志向してしまったのだ。

肌の接触の原体験は母(のはず)だから、おそらく僕はその母から与えられた快(のはず)を追体験しようとするのだ。肌寒く感じると言う事は、「暖かさ」への不足を覚えることだ。「暖かさ」の連想は転じて母へと繋がるのだと思う。
母の欠乏と言っても、もはや、今の現実の母ではない。母の代替的存在を求めようとする。母はもう失ったのだ。愛されるはずであったかつての僕と同時に死んだ。  僕が求める理想の“少女”とか、アニマとか、ファムファタルっていうのは、そもそもが母の代替。それを生涯を通して探そうとしてる。その深層的な欲求に抗えない。
自分がなぜ女を撮るかを考えて、理由がわかるまで10年以上時間がかかった。
一言で言えば、結局自分のこどもの頃の母親を喪失あるいは略奪された意識をぬぐえずにいるからなのだ

では、なんでその代替的存在にコスプレをした女を僕が好むかというと・・・。
そもそもが母親の代替的存在ということは、つまり交換可能な女だという事だ。本当の自分の母親は一人だけど、母親の代替的存在は無数で択一的。選べるのだ。
変化・変身・変形可能な、選べる・交換可能・記号的な存在だから、コスプレ・扮装・演技・変身する、不定形で変化する纏われた存在に、僕の理想を感じる。母の代替的存在を連想させるから惹かれるんだと思う。

 そもそも(もう居ない母親の代替的存在)が観念的なイメージだから、実はその理想的な母の代替(的存在)の対象はアニメのキャラでも、マンガのキャラでも、人間の中の演じられた一人格でもいいわけだ。
僕が理想的な女の子はクリィミーマミ だと思い込んでたし、人格が変わっちゃう女の子の一人格を好きになってたこともある。(その子は統合されてやがて消えた。) アニメやマンガの女の子を好きになる事が出来るのは、そういう自分の心の中で芽生えた理想的な女の観念をそのキャラクターに投影する事が出来るからだ。

(クリィミーマミって普段は少女、変身して大人になるアニメのキャラ。これは僕の女との付き合い方の理想を露呈してるんだよ。昼間はこども、夜は大人。つまりヤレる。 そう僕は繋がりたいのだ。女と・・・)

 でも、これだけがコスプレをした女を撮る理由じゃなくて、僕の場合は自分のナルシシズム(自体愛)を相手に投影する、あるいは自分が抑圧しているナルシシズム(自惚れ)を撮る対象の中に見出して、自分のナルシシズムを満たされた気持ちになるっていう心理的な効果もある。

これは既に書いた、母を失ったと同時に消失した、愛されるはずであった自分を、再獲得したいという心の働きで、その心が、こどものような少女を撮りたいと思わせる。
少女を愛でながら撮影したいという、ロリータコンプレックスの様相を呈した欲求であり、しかも、自分自身が親を演じる(憑依させる)事によって、自分が自分を愛するという慰めの行為になっている。

   
WEBSITE 箱男
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